旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ⑧陸前高田へ
気仙沼には後でまた戻ってくるのでコインロッカーに荷物を入れた。
乗り換えた盛行きBRTは、観光仕様になっていた。写真のように窓に向かって椅子が並べられていたり、車内にパンフレットが並べられていたりする。全ての便がこのような観光仕様なわけではなく、ごく一部みたい。この窓向きシートに座ってみたが、慣れないからか少し酔った。
(出典:気仙沼線・大船渡線BRT(バス高速輸送システム)>ご利用案内:JR東日本)
本来の大船渡線は、気仙沼を出ると内陸を走り、鹿折唐桑、上鹿折、陸前矢作、竹駒、陸前高田の順に止まる。しかしBRTは鉄道とは異なる海岸沿いの道をゆくため、両者のルートが異なっている。気仙沼~陸前高田を直通する便は全て海岸沿い(長部経由)を走行するため、旧来の鉄道ルート上には上鹿折と陸前矢作をそれぞれ終点とする支線が延びているような状況だ。どれくらい需要があるかは分からないが、上鹿折から陸前高田方面、もしくは陸前矢作・竹駒から気仙沼方面に向かう乗客にとっては不便だろう。
ちなみに、気仙沼~上鹿折はミヤコーバスが運行する路線での一部であり、これをBRTとして扱っている。JRは上鹿折に向かう便に関しては全く運行に関与していないともいえるが、それでもBRTとして指定しているのは、昔からあった上鹿折駅をJRとして見捨てはしないという方針の表れなのだろうか。
BRTは岩手県陸前高田市に入った。車窓から市内を見てみると、海岸に近いエリアは尽く更地になっている。気仙川を渡り、奇跡の一本松駅に着いた。
この奇跡の一本松駅も(当然だが)BRT後に新設された駅である。駅近くには駐車場や飲食店などがあり、奇跡の一本松を見に行く拠点になっている感じだ。しかし、駅の周りには、それ以外何もない。
工事中のため迂回を余儀なくされ、駅から歩くことおよそ10分、奇跡の一本松に到着した。
数万本あった高田の松原の中で唯一津波に耐えたこの樹は復興のシンボルとされている。ただし、根が海水に浸かってしまったために枯れてしまい、今は中に心棒を入れて立っている状況だ。高いところにある枝葉も精巧につくられたいわばレプリカである。この奇跡の一本松は、木ではなく、人工のモニュメントなのだ。
松の保存には億単位の金額がかかり、それに対して賛否両論が吹き荒れたと聞く。そのような予備知識があったがために、ここまで来たはいいものの素直に「復興のシンボル!すごい!」と感心できない自分がいた。
もっとも、震災とはほぼ無縁に生きてきた私の感想はさておき、被災した人々がこれを見て勇気付けられ、後世の人々が震災・防災について考えるきっかけになれば、こうしてモニュメントとして残した意義は十分にあるだろう。折角(?)立ったのだから、末永く残ってほしい、そんなことを考えた。
松の根元には、故やなせたかし氏のイラストをもとに作られたモザイクタイルアートが飾られていた。
(つづく)
旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ⑦BRTで、気仙沼へ
柳津を発車したBRTは、30分ほど走り、南三陸町の志津川駅に着いた。
「駅」とは名乗っているが、列車は来ない。事実上バス停である。
車窓から、旧南三陸町防災対策庁舎が見えた。もうこの辺りより、津波被害の大きかったエリアに入っている。周囲はほとんど更地であった。
志津川を出たバスは、程なくしてベイサイドアリーナ駅に到着した。先ほどの志津川駅は震災前より気仙沼線の志津川駅として存在していたのに対し、こちらのベイサイドアリーナ駅は、BRT化後に新設された駅である。
この駅周辺には南三陸町の役場仮庁舎や総合体育館、診療所があり、南三陸町の仮の中心地といった様相だ。高台移転などで震災後に、従来の鉄道駅から町の中心が離れてしまったようなケースにおいては、運行ルートの自由度が高いBRTが有用なのかもしれない。
BRTは、気仙沼線の路盤を利用した専用道路に入った。トンネルも、旧来のものを活用している。走行したまますれ違えるほどの広さはないので、所々に信号機のついた待避所が設けられている。ここだけ見ると、単線の鉄道のようだ。
専用道なのだから、当然BRT以外はこの道路に侵入することはできない。一般道との境界には遮断機が設置されていて、普段は遮断棹が下りている。BRTの車両が近づいたときのみ開く仕組みだ。
なんとこの日は一般車両が誤進入してきてしまっていた。前方から、対向するBRT車両に続くように、一般車が走ってきたのだ。BRTの運転手に注意され、一般車はバックして最寄の出口から出ていった。これ、一歩間違えれば事故になってたよな。
先ほどの志津川駅のような比較的主要な駅には待合室があったり駅員がいたりするのだが、そうでない駅は、路上にポールが置いてあるだけ。ますます一般的な路線バスのようだ。
ちなみに、専用道を走る区間は案外短く、それ以外は並行する国道を走行していた。「駅」もその国道上に設けられているものが多い。この日はさほどダイヤに遅れはなかったが、行動を走る以上、どうしてもダイヤの乱れとは切れない関係にある。定時性確保が、BRT導入の上で課題になってくると、どこかで聞いたのを思い出した。
BRTは、気仙沼の市街に入ってきた。よくある、幹線道路沿いにロードサイド店舗が林立する光景だ。最後は専用道路を走行し、気仙沼の町を西に大きく回り込む形で、終点の気仙沼駅に到着した。
気仙沼に到着した。ポケモントレインが運行されているからだろうが、駅構内にはポケモンが目立つ。
気仙沼駅は、本来、前谷地から気仙沼を結ぶ気仙沼線と、一ノ関から気仙沼を経由して盛までを結ぶ大船渡線の接続駅であった。しかし今は、気仙沼線と大船渡線盛方面はBRTとなっているため、鉄道とBRTの接続拠点としての性格が強い。かつて線路があった気仙沼駅1・2番線はアスファルトが敷かれ、ここからBRTが発着する。
時刻表には、「鉄道とBRTは接続するとは言っていない」みたいな旨が記されているが、これは道路状況等による遅れが発生した際の予防線だろう。この日はほとんど遅れはなく、盛方面へも一ノ関方面へも問題なく乗り継げそうだった。
(つづく)
旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ⑥柳津へ
10月4日。鳴子温泉よりおはようございます。
ちょっと早起きして、朝7時台の列車で発つ。
昨日はもう夜になっていたためよく鳴子温泉駅の駅舎の中を見てはいなかったが、こんな感じの半円形で段々になっている箇所があった。イベントとかを開いたりするのだろうか。日曜日の朝早くということもあって、駅にはほとんど人影がなかった。
新庄より陸羽東線で東に進み、昨日鳴子温泉に着いたわけだが、今日も引き続き東に進む。東に行けるところまで行って、そのあと再び西の内陸に戻ってくるというのが今日の行程だ。乗り込んだ陸羽東線の小牛田行き列車には、駅舎同様ほとんど人の姿はない。
1時間ほどで小牛田駅に到着。陸羽東線と東北本線、さらに石巻線が接続するターミナルである。宮城県北部は、少々鉄道路線が入り組んでいて、目的地である柳津駅までは、ここ小牛田駅を含めて2回の乗り換えを要する。小牛田で石巻線女川行きに乗り換えるも、15分ほどで前谷地駅に到着。再びここで乗り換え。気仙沼線柳津行きに乗る。朝からせわしない。
前谷地からおよそ20分、柳津駅に着いた。自治体としては、宮城県登米市に属する。写真は跨線橋からの眺めだ。今日も天気がいい。
わざわざ鳴子の山の中からここまでやってきたが、柳津自体が目的地ではない。ここからはBRTが出ているため、これに乗る。本来柳津駅は気仙沼線の中間駅であったが、現在鉄道として走っているのは柳津以南のみで、以北はBRTに置き換えられ、鉄道は走っていない。なぜなら、線路や駅が津波で流されてしまったからだ。
駅前には真新しい待合所が設けられていた。先の震災を機に運行されるようになったBRT、話には聞いていたがその実態にかねてから興味があった。幸い、持っている秋の乗り放題パスは、このBRT区間でも有効だ。
気仙沼線・大船渡線BRT(バス高速輸送システム):JR東日本
BRTについての詳しい説明は、上のリンクを見てもらうと分かるだろうが、簡単に言ってしまえば、津波で流された鉄道代わりにバスを使いましょう、ということだ。といっても、一部で鉄道の路盤を利用したバス専用道路を走行するなど、通常のバスとは一線を画す。なお、この旅行の時点では、気仙沼線・大船渡線の鉄道としての復旧断念は決定までは至っていなかった。
モニターが用意されており、BRTの接近情報が表示されている。本来のBRT始発駅は柳津だが、利便性向上のため、2015年6月より石巻線前谷地駅まで運行されるようになった。つまり、現在前谷地・柳津間においては、本来の鉄道(気仙沼線)とBRTの両方が運行されていることになる。
なかなかBRTが来ないのでちょっと不安になったが、発車時刻直前に駅前広場に入ってきた。鉄道との接続は大体とれている。名古屋のガイドウェイバスのように車体横から案内輪が出ているということもなく、見た目はごく普通のバスだ。
早速乗り込んで、北に向かう。
(つづく)
旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ⑤立石寺・五大堂から鳴子温泉へ
奥之院から五大堂に向かう。石段を少し下りて、脇道にそれる格好だ。
多分NHKだったと思うが、小学生のころテレビでやっていた立石寺の特集に、私は釘付けになった。とくに目を奪われたのは、これから向かう、五大堂である。子供心に、「こんなすごい寺が山形にあるんだ!」とびっくりしたのを覚えている。それから十数年経って、ようやくこの目で立石寺・五大堂まで来る機会を得た。
山肌からせり出した舞台のような五大堂、ここからの眺望は格別だ。
ついさっきまでいた山寺の駅前や、遠くまで連なる山々、そのふもとに広がる集落、そういったものを一望できる。最高に気持ちいい。
五大堂はさほど広くなく、観光客がひっきりなしに入れ替わり立ち替わり出入りするので、少々せわしない。それでも、この眺望に見とれていると、時間が経つのも忘れてしまう。20~30分くらいはここから景色を見下ろしていただろうか。
とはいえ後の旅程のこともあるから、いつまでもここにいる訳にはいかない。後ろ髪引かれる思い出はあるが、立石寺を後にする。登りでは散々苦労した石段も、下りでは15分もあれば下まで下りられてしまい、なんだか複雑。
立石寺では観光の時間を3時間確保していたのだが、2時間ほどで下りてきてしまった。これなら1本早い仙山線に間に合いそうだ。
駅まで戻る途中の立谷川の河原に、なにやら人だかりが。これは、アレか。あの、噂に聞く、芋煮会ってヤツか。ここ山形だし。
山寺駅からまた鉄道の旅。仙山線で山形を目指す。
1本早い列車に乗ったため、山形で時間ができてしまった。とりあえず腹が減ったので、山形で何か食べる。ネットで調べたところ、山形は”冷しらーめん”なるものが有名なのだとか。夏は高温になる山形で生み出されたこのメニュー、よくある冷やし中華とは、似て非なるものらしい。
駅東口の、商店街を適当に歩き、冷しらーめんの幟を掲げた店があったので入ってみる。そこで注文した冷しらーめんが、上の画像のものだ。"冷し"というだけあって、当然冷たい。食べやすく、するりと体に入る感じだ。ただし、見た目と温度のギャップがあるから、人によっては好き嫌い分かれるかも。
まだ時間があるので、駅の西口にやってきた。「霞城セントラル」という再開発によって建てられた複合ビルがあり、その最上階が展望フロアとして開放されている。仙台でもそうだったが、私の旅においては、とりあえず高いところから町並みを見下ろそうという行動パターンが多く、今回もその例に漏れない。山形駅を俯瞰すると、ちょうど山形新幹線が入線するところだった。あと、「例のマンション」の姿も南方にうっすらと確認できた。
山形からは、奥羽本線の普通列車で北上する。観光を終えて宿に向かう私。疲れからか、不幸にも普通列車の中で爆睡してしまう。というわけで、山形から新庄までの記憶がほとんどない。
新庄駅に着いた。新幹線に合わせて改軌された奥羽本線新庄以南と、従来のままの奥羽本線新庄以北・陸羽東線・陸羽西線は分断されている。けれども分断の副産物として、新庄駅ではすべてのホームに平面移動のみで向かえる構造になっている。新庄から陸羽東線の列車に乗る。ここの本数が少なく、旅程を組む際に苦労した。
再び宮城県に戻ってきて、鳴子温泉。新庄からは1時間ほどだった。
宿は4種類の泉質が楽しめると謳っている、↓こちら。
チェックインを済ませ、温泉街を歩いてみた。ちょうど鳴子温泉街では音楽祭が開かれていて、山峡の町に音楽が響き渡っていた。近隣の旅館の宿泊客だろうか、けっこうな人出であり、なかなか楽しそうだ。
一方でイベントを行っていない箇所は、上の写真のように温泉街といえども閑散としていた。個人的にはこっちのほうが好み。
鳴子温泉には日帰り入浴ができる共同浴場がいくつかあったが、宿に帰れば4種類の温泉が待っているので、これらはスルー。
さて、宿に戻って温泉三昧だ。単純泉から硫黄泉から何やら、正直泉質についてはよく分からないが、かわるがわるすべての温泉に入った。硫黄泉のところがいちばんよかったかな。ちょっとのぼせた。
誤算だったのは、宿は素泊まりで湯治用の宿舎に泊まっていたのだが、宿の近くのスーパーがこの旅行の直前に潰れてしまい、片道徒歩15分くらいかけてコンビニまで夕食を買いに行ったこと。東北の秋の夜は、寒かった。
あと、湯治用の宿舎は、廊下と自室を隔てるものが障子一枚というガバガバ仕様で、近くの部屋の団体客がけっこう夜遅くまで騒いでおり、ちょっと辛かった。まぁ疲れのほうが勝り、すぐに寝てしまったのだけど。
そんなこんなで、鳴子の夜は更けていった。
(つづく)
旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ④立石寺
10月3日。仙台よりおはようございます。
昨夜はネットカフェ泊だったけれども、案外良く眠れた。フラットシート万歳。食べ放題のソフトクリームを食べ過ぎて、少しお腹が痛いのは気にしない方向で。
今日より、秋の乗り放題パス(https://www.jreast.co.jp/press/2015/20150906.pdf)を使用する。3日間連続、日本中のJRの普通列車が乗り放題。青春18きっぷの、姉妹商品といった感じの企画乗車券だ。
仙台駅より乗り込んだのは、仙山線の列車。仙山線は、その名の通り”仙”台と”山”形の2都市を結ぶ路線だ。路線は全域仙台市内または山形市内を通る。しかし途中で奥羽山脈をブチ抜く関係で、路線の中間地点あたりの人口はかなり疎らだ。そんなわけで、都市間輸送を担うビジネスライクな雰囲気を醸しながら、山間を縫うローカル線の趣も兼ね備えている、そんな印象を抱いた。
仙台駅から大体1時間。列車は県境を越えて、山形県の山寺駅に着いた。私と同じような、観光客風の降客もけっこう多い。早速荷物をロッカーに入れて、駅前へ踏み出す。
・・・山の上に、なにやら経っている。かなりの高さだ。
これこそが今日の目的地、「宝珠山 立石寺」である。
駅から歩くこと20分(いろいろ寄り道したので、まっすぐ向かえばもっと早いはず)、立石寺の門までやってきた。ここで入山料300円を支払い、山内に入る。
立石寺で有名なのは、なんといっても石段。最上部まで1000段近い石段が待ち構えているのだ。いやはや。でも登るごとに煩悩が消えるみたい。
信じられないことだが、”山寺”で”山寺宏一”がロケをしていた。
中腹にあるここは”弥陀洞(みだほら)”。荘厳で、近寄りがたい雰囲気すらするこの場所、一目見て気に入った。岸壁に岩塔婆と呼ばれる塔婆を模した陰刻がなされている。「死後の魂は山寺に還る」 という、この地方独特の庶民信仰によるものらしい。そういえば同じ東北の恐山でも、地元の信仰では死後の魂は"山"に向かうとされていたっけ。
約1000段の石段を登りきり、奥之院までやってきた。正直、しんどかった。気温はだいぶ涼しいはずなのに、汗びっしょりだ。とりあえず、無事大学卒業できますように、と願いをこめ、参拝した。
倉庫の隠し仏を発見。
奥之院の参拝を終え、本日のハイライトとなろう、五大堂へ向かう。
(つづく)
旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ③仙台・松島
松島に行くことにした。理由は、日本三景の一つであり有名で、かつ行ったことがなかったからだ。まだ日没までには、少々時間がある。
バスは仙台市街に戻ってきた。仙台駅前で降りるが、高速バスのときと同じように、駅から少し離れた場所での降車だった。
松島へはJRで向かうのだが、ちょうどバスを降りたその場所に、仙石線あおば通駅の入り口があったので、こちらの駅を使う。
あおば通駅は、仙石線の始発駅である。ターミナルの仙台駅よりわずか1駅、営業キロにして0.5km。乗った仙石線列車は、わずか1分ほどで仙台駅に到着した。
ところで、目的地松島に最も近い松島海岸駅はこの仙石線の先にあるのだが、乗った列車は途中の東塩釜までしか行かない。調べたところ、別のルートを辿ったほうが早そうだったので、仙台駅で乗り換える。
仙台から乗ったのは、仙石東北ライン。例によって写真はない。この旅行の時点では半年ほど前に開通した路線で、東北本線と仙石線を直通運転することで仙台石巻間の速達性向上を図ったものである。東北本線と仙石線で電化方式が異なるため、ハイブリッド気動車で運転される。時刻は16時過ぎ、ラッシュというほどではないにせよ、列車内の座席はほとんど埋まっていた。
高城町駅で仙石線東塩釜方面に乗り換え、16:44松島海岸駅到着。
もう既に日が傾きかけている。足早に、海岸に向かった。
松島といえば遊覧船で湾内を巡るのが有名だが、さすがにこの時間では動いていない。
海岸付近をフラフラと散策しながら、写真を撮るくらいしか、することもない。
船が停泊していると、どうしても撮ってしまう。
日の入りの時刻だが、東側に海が広がる松島では、絶景は望めそうにない。
少々慌しいが、夕暮れの松島散策を終え、仙台に戻る。
今度は素直に、仙石線で仙台へ。
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やはり仙台といえば牛タン。旅先での食にさほど頓着しない私ではあるが、これは外せない。計画段階より、今夜は牛タンと決めていた。
仙台駅の新幹線入り口近くに、牛タンを提供する店が複数軒を連ねた、「牛たん通り」がある。その中で私が入ったのは、「味の牛たん喜助 JR仙台駅店」。時間帯によってはこの牛タン通りの店舗はかなり混むようだが、すんなり入店できた。
牛タンは弁当などで食べたことはあるが、こうしたちゃんとしたお店で食べるのははじめて。意外と柔らかく、美味かった。
貧乏旅行なので、この日はネットカフェ↓泊。
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途中でダイエーにて明日の朝食を買いつつ、今宵の宿に向かった。
(つづく)
旅行記 2015 10 「東北ジグザグ紀行」 ②仙台・青葉城址
仙台駅のコインロッカーに大きな荷物を放り込んで、仙台の町に出てみることにした。
今晩はこの街で泊まるが、それまでの時間をどう使うかはとくに決めていなかった。ノープランだ。
14歳のときに一度仙台に来たことがある。当時の自分は如何に長い時間・長い距離を列車に乗るかに腐心しており、仙台に来たのもあくまで乗り換えのためであった。東京より新幹線で仙台にやってきて、萩の月と牛タン弁当だけ購入して1時間もしないうちに上野ゆき特急「ひたち」に乗り換え、再び南下したのを覚えている。今回のが「紀行」であるなら、当時のはまさしく「奇行」であっただろう。ともかく、そんなわけで仙台の街を回るというのは実質初めての経験だ。さて、どこに行こう。
仙台駅の西口から、「るーぷる仙台」という観光地を周遊するバスが出ている。その路線図を見ながら思案していたが、とりあえず青葉城址に行くことにした。理由は特になく、ただなんとなく、有名だから。
青葉城址は高台にあり、仙台市街を一望できる。こうしてみると、なかなかの都会だ。天気が良かったので、うっすらと仙台湾まで見渡せた。
すぐ足元をよく見てみると、広瀬川が大きく蛇行して流れている。
そして、青葉城址とえいば、これだろう。伊達政宗像。想像のよりかなり大きかった。
・・・とこんな感じに城址からの眺望と伊達政宗像を見てきたが、正直なところ見所はこれだけ。すぐに見終わってしまった。「本丸会館」という、青葉城に関する資料館のようなものはあったが、城郭そのものがないのにその歴史を学んでもなぁ・・・と思いスルー。なにより入館料がけっこういい値段した。そのほか、観光客向けに食事やら土産物を提供する店が数件あるくらい。青葉城址、一度来られればもういいかな・・・。
青葉城址で夕方まで時間を潰そうと当初は考えていたが、1時間くらいで山を下りることにした。バス(こちらは一般の路線バス)で仙台市街に戻る途中に、東北大学のキャンパスを通ったのだが、その広さにびっくり。やっぱり旧帝大はすげぇや。
つぎはどこに行こう。バスに揺られながら考えた。
(つづく)